離婚とは?
一体なんなんでしょうね。笑
結婚したあの時、
こんな日が来るなんて、潜在意識の中の私は知っていたのかな?
覚えている限り、
自分の意識の中では、こんな日が来るなんて思ってもいなかったよ。
ははははははは 笑
唐突にすみません。
夫との結婚生活を振り返ってみると、
特に激しく喧嘩をしたことなんてほとんどありませんでした。
私や夫が浮気をしたとか、
夫婦の会話が無かったとか、
そんな理由は、全くありませんでした。
もちろん、
これらとは違う離婚の理由が、
私たちの中にあるんですがね。
まあ、かいつまんで言えば、
結婚生活10年間で、
夫との結婚生活に自ら、ギブアップ宣言をしたんです。
このギブアップ宣言は、
初めは私から声をあげたものだったけれど、
夫もそれに同意したのです。
「ここ何年も、僕は不幸だった」
私との生活の中で、とても不幸だったと言い放しました。
そんなこと、ちっとも知りませんでしたよ。
それがちょうど去年の今頃ですよ。
私はこの結婚生活で、
夫を信じていたことや夫への想いが、
ガラガラと音を立てて崩れ去りました。
ひと月前のクリスマスには、
お互い笑顔でプレゼントを交換して、
仲良し夫婦だと信じていましたからね。
そんな夫から、
不幸だったと言わせてしまった私は、
もう、いいやって思って、
こうして日本へ帰ってきてしまいました。
このブログにも書いたんですが、
去年の10月に、夫が私に会いにやってきてくれました。
そして、
滞在の最後にはほぼ仲直り状態で、
私がまた、オーストラリアへ帰るような流れにもなったのです。
しかし、
はて?
私がオーストラリアで夫と一緒に生活できないことを、
どれだけ夫はわかってくれたのか?と、
問いただしてみたら。
またまた、夫の怒りが爆発してしまいました。
そして、きっぱりとした決別を宣言させられました。
でもね、
不思議と、私の気持ちはホッとしたんです。
その決別を宣言されてから、
私には心残りがひとつだけありました。
愛する愛猫を、オーストラリアの家に残してきてしまったんです。
そのことが、気がかりでしょうがありませんでした。
私が先に日本へ帰るけれど、
ぜったい、
ぜったい迎えに来るからね。
心の中で、
毎日、何度も何度も唱えていました。
彼女(愛猫)と私は親友でした。
どんなに私が孤独で打ちひしがれた気持ちでいる時も、
夫には何も伝わらない私の気持ちを、
全て受け止めてくれたのは人間の誰とでもなく、
彼女だけでした。
太った体を私に擦り付けて、
なーなーと、
何か猫語で話しかけてくれました。笑
いつもいつも。
だから、私は彼女が大嫌いな雷が鳴ると、
雷が鳴り止むまで、一緒にそばにいてあげました。
夫に最後のお願いを伝えました。
「あの子に会いたい、
そしてこちらで暮らしたい。
お金は払うから、どうかあの子を日本へ送ってくれませんか」と。
すると答えは、素っ気なく。
「君が思っている以上に、お金も手間もかかる」ということと、
「君の猫の体調が良くないと思う」という返事でした。
彼女は、人間で例えると中年の域で、
でもまだ、そんなに歳はとっていません。
太り過ぎで、私がダイエット食の餌をあげていました。
夫は僕は動物好きという人間じゃないからという理由と、
長毛の猫は嫌いだから、君の猫も好きになれない。
醜い猫だ。
というのが口癖でした。
そんな夫だったので、
その後の彼女の健康状態が不安でした。
だから私は、
どうか獣医に見せてあげてくださいとお願いをしました。
それから、
なんの返事もなく二週間ぐらいが経過しました。
私の誕生日の次の日に、
その知らせを受け取りました。
「君の猫は、悪いけど安楽死させました。
脂肪肝の病気で僕はとても面倒は見られないので、
土曜日の朝に獣医に頼んでうちへ来てもらい安楽死させました。
せっかくの君の誕生日がこれで台無しですね」
この文章の最後に、
スカイプのキスマークのフェイスロゴがくっついていました。
頭の中が真っ白になりました。
それから、
私は、
これが夫なんだと思い直しました。
愛猫を殺された恨みよりも、
夫の精神の方が、それを上回るぐらい恐ろしかった。
私、こんな人と10年も一緒に生活していたんだ。
そう、
夫の精神は、
たまに私の理解を超えた冷たいものがあるのは知っていたけれど、
この計画的な私の誕生日を狙った事柄や、
それを私に知らせる文句を、
あの人は頭の中で、
計画的に考えていたんだという、
その恐ろしさで身が震えました。
愛猫の死をきっかけに、
夫の冷酷さの幅を測ることが出来ました。
別れの瀬戸際で、
私はかつて愛した人の本性を知ったのです。
やれやれです。
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by Blackcatbaggy
| 2017-01-07 16:06
| 夫のこと